可能性を生み出だしただけでアウトなのか

友人から宿題を貰った気がしたので少し考えてみました。
まずは、こちらの動画から

投稿から一週間もたたずに50万再生を達成した、今一番HOTなアイマス動画である。
ネタになっているのは、過去何回か記事にもしたアイマス2における「9・18事件」を題材にしたものだ(詳細はこちら)。

どこが問題になったかを簡単に述べると

1.ライバルキャラとして961プロから、男3人組のユニットが発表された(今までのアイマスでは、男キャラは原則シルエットのみという暗黙のルールがあった)。

2.竜宮小町メンバー(律子・伊織・あずさ・亜美)はプロデュースできない(もちろん一作目ではできていた)。

3.アイマスの原点と言えるアーケード版アイマス(アケマス)の最大の特徴であるオンライン対戦ができない。

4.テーマが「団結」なのに、各キャラのCD売上げで扱いに優劣をつけるAKB商法を展開。

といった所でしょうか、東京ゲームショーでこの仕様が発表された直後から各所で反対意見が続出し、あちこちで炎上が続いている状況である。
また、この件について「首謀者」とも言える総合ディレクターの石原氏のインタビュー(こちら)で、仕様についての考え方が表明されている。


話は戻って、冒頭の動画の中に「可能性を生み出しただけでアウトなんだよ」というセリフがある。
これは、今までのアイマスには原則として取り入れられなかった「シルエットではない男キャラであり、しかもアイドル」の存在が、765プロのアイドル達と良からぬ関係になってしまう「不安要素」としての存在にしかならないことへの、否定意見とも言えるセリフである。
ちなみにこのセリフもニコニコ大百科でまとめられているので、詳しくは(こちら)を参照して欲しい。

このセリフについての反対意見もあるようで、中には
「作者が具体的に描写しなくても、ファンが勝手に「可能性」を嗅ぎつけただけで「アウト」だと判定されるというのだ。〜(中略)〜 作中で描かれていない部分に関して、読者がどんな妄想を描くかなんて、作者には想像もつかない。ましてやそんなもんに対して責任も取れない。それは妄想する側の責任だ。 」
というような事を書いている人もいる。

個人的には、このセリフは今回の「9・18事件」に限って言えば至極正当な意見であると言えると思う。
今までのアイマスは前段で述べている通り「男性キャラクターは原則としてシルエットのみ」の表現をしており、基本的にはプロデューサーである「プレイヤー自身」とヒロインである「アイドル」達との関係以外の「異性関係」を排除した作りになっている(プレイヤーが男性の場合)。

ゲームの中とは言え、「アイドル」に異性の影がチラツクような状況を喜ぶファンはいるだろうか?私見ではあるが、男女を問わずそのようなシチュエーションを歓迎するような人はほとんど皆無だと思う。(中には親心的な感じで応援する人もいるかもしれないが)

ところが今回の「アイマス2」では、今まで製作者側でも「タブー」と認識していたにもかかわらず、手のひらを返すようにそのようなキャラを出してしまった。
「アイドルと彼等との妙なエンディングはありません。寝取られを演出したいのではなく、あくまでもプレイヤーが憎めるライバルとしての立ち位置なので、そこは誤解されないように先に断言しておきます。」
インタビューの中でこのようなフォローはされているが、それこそ「可能性を生み出しただけでアウト」なのである。

では、製作者側に「変化すること」が許されないのか?と言う人もいるかもしれないが、そうではない。
正直「アイドルマスター」というゲームは、ソフトの販売本数で言えば大ヒットには程遠い数しか売れていない。では何故ここまでアイマスコミュニティが大きくなっているかと言うと、それはひとえにファンの「熱意」の賜物と言っても過言ではないと思われる。
彼らは、かなり「高額な」ダウンロードコンテンツにお金を投資したり、多くの時間をかけて動画を作成しニコニコ動画へ投稿したりしている。黎明期に彼らの果たした役割は、アイマスにとって決して小さなものでは無かったはずだ。

いわば「アイドルマスター」という作品は、製作者とファンが手を取り合って育ててきたコンテンツであると言えると思う。
そのような作品において、製作者側の「変化したいから」という一方的な都合で「アイマス2」の仕様が決められてしまった。
インタビューの中で「実際に自分がこの考えを今後の展開の指針としたのは、やはりニコニコ動画でのユーザー投稿の影響が大きいですね。」とあるが、現在のニコマス界の反応を見る限りでは「空気読めてないな」と言わざるを得ない発言である。

製作者は「創造主」であり、その創造物にどのような「変化」を与えようが自由であるのは言うまでもない。
ただ、ファンがその「変化」に対して想像をし、支持するか否かはこれまた自由なのだ。
前にも書いたが、今回の騒動でファンが「否定」の意思表示をしている事は、まだ製作者側にとっては幸運なことなのかもしれない。なぜなら「好き」の反対は「嫌い」ではない、「無関心」だからだ。

いずれにしても、製作者側に残された時間は少ない。発売日までの日程にしても、ファンの怒りの限界にとってもだ。
お互いにとって「アイマス」という作品が、最期まで「夢」を見られるコンテンツであることを願って止まない。